TVで見ない日はないほど、超売れっ子タレントのマツコデラックスさん。
若い頃は、金髪イケメンだったという衝撃の情報が入りました!
2024年現在は、女装をして毒舌トークを炸裂させていますが、若い頃はどんな感じだったのでしょうか?
とても気になったので、今回は、
- 若い頃のイケメン画像
- 中学生、高校生時代 (本名)
- これまでの経歴
など、マツコデラックスさんの昔について暴いてみたいと思います。
金髪イケメンだった画像が気になる〜。
それでは真相を見ていきましょう〜。
【画像】マツコデラックスの若い頃は、超イケメンだった!
まずは見てください!マツコデラックスさんが23歳の時の画像です!
引用元:和丸号(大塚和之) X
めっちゃイケメン!!めっちゃ痩せてる!!
本当にマツコデラックスさんなの?金髪だし、短髪だし、キリッとして男らしい。今とは別人みたいに違いますね!衝撃です。
引用元:NHKアーカイブス
だけど、鼻と口元あたりは全然変わってない。これは間違いなくマツコデラックスさんの若い頃です。こんなにイケメンだったなんて・・・。なんだかもったいない気がしてしまう笑。
マツコデラックスさんは20代の半ば頃から、『Badi』バディというゲイの人達向けの雑誌の編集者として働いていました。
『この先に私の生きる道が見つかるんじゃないか』
引用元:文春オンライン
という気持ちで編集者としての仕事を始め、ドラッグクイーンの活動も始めました。
『松風』(まつかぜ?)というペンネームで執筆していたようです↓
引用元:和丸号(大塚和之) X
ゲイによる、ゲイの為のゲイ雑誌ということで、ゲイの方々の手によって出版された事で、日本のゲイ文化を大きく変えた雑誌だと有名です。
マツコデラックスさんの編集は、カリスマ的な手腕を振るっていたと評判で、日本のゲイ文化を盛り上げ、同性愛者をオープンな関係にした改革者とも言えます。
現在でいうLGBT運動の先駆けね〜。
このような証言もありました↓
マツコさん、Badiの企画で赤ちゃんのカッコしてベビーカーから顔出したり、貧乏女装vsドラァグの対決企画でどんだけ安く女装するかなんかやってたからな。60kgの時はかなりイケメンだった。
— 監禁0723 (@0136Sam) November 22, 2019
何歳の時か分かりませんが、体重が60kgだった時もあったのですね〜。そしてやっぱりイケメンだったんだ。
過去には、
「デブであること」が嫌になり、140kg以上あった体重を半分以下の68kgまで落とした。
マツコ自身、「一種の摂食障害」だったと当時を振り返っている。
引用元:withnews
と、語ってもいました。マツコデラックスさんの身長が180cmなので、体重60kg代だとかなり痩せた体型ですよね。マツコデラックスさんに痩せている時期があったなんて!
他にも編集者時代の画像がありました↓
引用元:みずぐち たかおX
プロフィールを見ると、この時の画像も23歳ですね。金髪の時よりもヒゲが伸びていて、ワイルドな印象を持ちました。
表紙を飾るようなハンサムボーイとも付き合っていた。
引用元:Smart FLASH
と、マツコデラックスさんが語っていて、確かにこれだけイケメンだったらハンサムボーイとも釣り合いますよね。若い頃は結構モテたんじゃないでしょうか。
中学時代と高校時代の卒アルから本名が発覚!木村拓哉とは同級生?
中学生時代
次は、中学生時代を見ていきましょう〜。
1985年、マツコデラックスさんの地元、千葉県千葉市稲毛区にある『千葉市立小中台中学校』に入学しました。
こちらが中学時代の卒アルです↓
引用元:新芸能人卒アルbot X
『松井 貴博』という名前が書いてあります。マツコデラックスさんの本名は、まついたかひろさんでした。本名が松井だからマツコなのですね!
掃除の時間に階段の踊り場でセクシーな振りをつけて歌ったりしては評判をとった。
引用元:文春オンライン
こんな感じでウケ狙いをしたり、話が面白いから、学校の友達がいつも集まってきていたそうです。昔からトークの腕があって、場を盛り上げるのが上手かったんですね。
高校生時代
さらに、高校生時代も見ていきましょう〜。
1987年に、公立の『千葉県立犢橋(こてはし)高等学校』に入学しました。
高校生時代の卒アルがこちら↓
引用元:白夜行またいつかどこかでさようならX
体格が良く、現在のマツコデラックスさんの面影がありますね。マツコデラックスさんが本格的に女装を始めたのはこの頃で、高校3年生の時だそうです。
コンビニのトイレで着替えてメイクしては、伝説のクラブ・芝浦GOLDに通った。
引用元:文春オンライン
当時、『芝浦GOLD』では、ドラッグクイーンやセクシーなダンサー達が大勢集まって、ゲイパーティーなどの大きなイベントが行われていたそうです。
そして驚くべきは、木村拓哉さんが同じ高校の同級生だったということ!
夜の巷を徘徊する ゲスト木村拓哉
— スプリングウーマン (@SpringWoman2009) April 30, 2017
マツコ、拓也がお互いにリスペクトしてるのをビンビン感じた。
その中で拓也がマツコを心配している話は、普段聞けないマツコの本音が聞けた。 pic.twitter.com/A6N0tF84TN
マツコデラックスさんのレギュラー番組『夜の巷を徘徊する』に、木村拓哉さんがゲストで出演し、『徹子の部屋』にも2人で共演を果たしました。
『でもごめんね。俺、どいつがお前になったかわかんねえ。』
引用元:シネマトゥデイ
と、木村拓哉さんは語っており、高校時代に仲が良かった訳ではないみたいです。
クラスも違く、木村拓哉さんは2年生の時に、東京の高校に転校してしまったそうなので、接点はほとんどなかったのかもしれませんね。
しかし、番組で再会した後は、マツコデラックスさんが木村拓哉さんの家に遊びに来たことがあるんだとか。
@ayselitycho4214 【キムタク娘】マツコさんに会いましたか? #cocomi #koki #キムタク #娘 #工藤静香 ♬ original sound – 木村さんファミリー
キムタクの娘のcocomiさんとkokiさんが、証言していますね。自宅に呼ぶ仲だなんて、プライベートでも交流があって、仲良しなのですね!
それにしても、超大物有名人が2人も同じ学年にいたなんて、犢橋高校の生徒はビックリですよね笑。
高校卒業後からデビュー当時までの経歴を紹介!
マツコデラックスさんが、高校を卒業してから、TVでブレイクするまでの経歴を見てみましょう〜。
高校卒業後は、美容の専門学校に入学し、1年間通っていました。
美容師として働いていたこともあり、『夜の巷を徘徊する』の番組内では、難しいロッド巻きを披露していました。
引用元:Webザテレビジョン
美容師の資格を持っていたんですね〜ビックリ。マツコデラックスさん自身のヘアメイクは、プロにお願いしているのではなく、自分でセットしているのかもしれませんね。手先が器用そうですし。
『何か違う』と感じて、美容の仕事は辞めてしまったそうです。
ゲイ雑誌『Badi』の編集部にアルバイトとして入社し、その後、編集者となりました。
引用元:Yahooオークション
1998年に、マツコデラックスさんが企画した『マチカドボーイフレンズ』という、街で見つけたイケメンを取材するコーナーなどが人気で、日本のゲイ文化を大きく盛り上げました。
しかし、人間関係がうまくいかなくなり、精神的に追い詰められてしまい、5年間勤めて退社しました。
『Badi』の編集部を退社した後は、千葉の実家に戻って2年間引きこもりの生活を送っていました。
引用元:moviecollectionjp
トイレ以外はベッドの上で過ごし、歌手のCoccoさんの曲を大音量で聴くことで、精神状態をなんとか保っていたそうです。
その後、半ば強制的に実家から追い出され、ボロアパートでの生活がスタートしました。
2年間の引きこもり生活を脱却する出来事が起こります。そのきっかけになったのが、小説家の中村うさぎさんです。
引用元:スポニチ
当時、中村うさぎさんのパートナーが、マツコデラックスさんが編集していた雑誌『Badi』を定期購読していたそうで、マツコデラックスさんの活躍や才能を知っていました。
そこで、中村うさぎさんが『人生張ってます』という対談集の相手に、マツコデラックスさんを指名し、
『アンタは書くべき人間だ』
引用元:日刊大衆
とアドバイス。ここからコラムニストとしてデビューし、『週刊女性』の連載や、少しずつTV出演をするようになりました。
さらに、『アタシがマツコ・デラックス!』というマツコデラックスさんが初めて書いた本の出版にも、中村うさぎさんが協力してくれたそうです。
引用元:紀伊國屋書店
引きこもりから脱却させ、メディアに押し出した中村うさぎさんのおかげで、今のマツコデラックスさんがあると言っても過言ではないですね。
コラムニストとしての道を歩むことになりましたが、それだけでは生活できず、色々なアルバイトをしていたそうです。
確認できたアルバイトはこちら↓
- バスガイド
- 人工スキー場の従業員
- コンビニの店員
- 交通量調査員
- 新宿2丁目で水商売(1日店長)
- バーの店員
- ドラッグクイーンとしてクラブに出演
意外でした!超売れっ子タレントのマツコデラックスさんが、こんなに様々なバイトをしていたんですね。
人通りが全然ない、真冬の交通量調査は超キツイと語っていました。
しかし、マツコデラックスさんの知識が豊富で、どの分野でも語ることが出来るのは、こういった下積み時代の経験があるからかもしれませんね。
マツコデラックスさんを一躍有名にさせた番組が、東京MXの『5時に夢中』です。
こちらは、2005年4月29日、『5時に夢中』に初出演した時です↓
引用元:TOKYO MX
金髪で、髪を下ろしていて、今とは雰囲気が違いますね〜。
強烈なビジュアルと、鋭い視点と、歯に衣着せぬトークでブレイクし、人気タレントになりました。2024年現在も、月曜日のレギュラーコメンテーターとして出演されています。
テレビが自分の『居場所』を作ってくれたことへの恩義から、マツコはテレビに協力できる力が自分にある限りは協力したいと考えている。
引用元:ダ・ヴィンチWeb
と語っていて、マツコデラックスさんがTVで見ない日がないのは、オファーが多いのももちろんですが、こういった理由もあるからだったのですね。
義理堅い人です!
高校を卒業してからデビュー当時まで、マツコデラックスさんも色々と濃い人生を送っていたのですね。
ブレイクしたきっかけの、『5時に夢中』は私も大好きです。ゆる〜い感じの番組だけど、コメンテーター達がズバズバ鋭いことを言うのが本当に面白い。
マツコデラックスさんがレギュラー出演してる月曜日は、やっぱり見ちゃいますね〜。
若林史江さんとの掛け合いが最高よね。
実は、私の昔の職場が新宿2丁目近辺にありまして、オカマバーに行った事があるんですが、お店のママとスタッフさんのトークがめちゃくちゃ面白くて、『5時に夢中』を見ていると、その時の感覚を思い出します笑。
まとめ
今回は、マツコデラックスさんの若い頃について調査してみました!
『Badi』編集者時代のイケメン画像は、別人のようで超衝撃的でした。
高校ではキムタクと同級生だったり、昔は引きこもりだったけど、そこからブレイクするまでの経歴など、マツコデラックスさんのこれまでの人生を知ることができました。
これからも、面白いトークでお茶の間を楽しませてくれる、マツコデラックスさんの活躍に期待しています!
若い頃が衝撃的な芸能人はコチラ↓↓↓